愛とは何かを本気出して語ってみた

こんばんは!!

 

お金の解放コンサルタントの
薄木です!!

 

本日とある塾の外部講師として、
東京へ向かっております。

 

僕は個人コンサルも好きですが、
講演活動をたくさんしたいので、
講座はとっても好きです。

 

カラオケでも講義でも
マイクを楽しそうに持ってる
様子を見てある人が、

「薄木さん、前世
マイクに関係あったのかも
しれませんね」

って言ってくれました。

 

僕もそんな気がして
なりません(笑)

 

セミナーはLIVE
なのだ~!!

 

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”もっと自分が愛されてることに
自信持った方がいいですよ”

 

あるヒーラーの方に
先日僕が言われたセリフです。

 

僕は自分に自信があります、
でも愛されてる自信は無意識には
薄いのかもしれません。

 

僕の母親は超がつくほど
心配性で、
あれ大丈夫か、これ大丈夫か
とよく聞かれます。

 

実際それで何度も助けられてるし、
感謝もしてるし
大好きです。

 

ただ、僕の中で未解放の感情が
あったようで、

それは、

 

「もっと自由にさせて欲しかった」

 

っていうものです。

 

母親に心配をかけぬよう
無意識に自分を押し殺し、

「いい子でいよういい子でいよう」

と過ごしていたようです。

 

ヒーラーの方にそう言われて、
すごくしっくりきました。

 

僕も逆に心配性な傾向は
すごくありましたし、

なんというか、

大事な人であればあるほど、

”自分にできることは何かないだろうか”

という視点で考えがちになります。

 

それ自体は悪いことではないとは
思いますが、

悲観しすぎとか、
心配性すぎるのもあまり良くなくて、

例えば今回のように地震が起こって

「大丈夫?」

とは聞くけれども、

「食料送ろうか?1週間分今から
送ろうか?実家帰ってくる?
こんな状況だから仕事休んだら?」

まで言われるのは違うと
僕は思ってます。

(上記のことを母から言われた
わけではないですよ)

 

なんだろ~、
大切な人だからこそ、

”その人の自力を信じてみる”

という観点がすごく大切な
気がしています。

 

もちろん助けが必要な時は
全力で助けるけど、

本人が大丈夫と言ってて
なおかつ僕の感覚的に大丈夫だな
って思ったら必要以上に
手を差し伸べることは最近控えています。

 

これ結構最近までやっちゃって
たんですよね、

相手の課題を奪う

っていうことを。

 

それこそ3年前ぐらいは、
コンサルと銘打って
毎日毎日クライアントに
電話かけてました。

 

「大丈夫ですか?
なんかできることないですか?」

 

みたいな。

 

今考えると相当うざいやつですね(苦笑)

 

で、特に問題ないですよ、と言われると
それでもなんか役に立てないか!って
必死でした。

 

簡単にいうと、

自分の存在価値をクライアントに
貢献することで埋めてたんですよね。

 

逆にいうと、

 

クライアントに貢献しない自分には
価値がない

 

と思ってたんです。

 

僕がクライアントにすがってたんです。

あ~恥ずかし・・・(汗)

 

ここで、冒頭の話に戻りますが、

”愛とは何か”

ですよ。

 

全てはバランスなので、

手を差し伸べないのも違うし、
手を差し伸べすぎるのも違うし、

心配性すぎるのも、
逆に相手に興味なしというのも
また違うし、

ほんといい塩梅って難しいなって
思います。

 

まあ平たくいうときっと
愛とは、

”自分と相手を信頼しきること”

かなあと。

 

自分の感覚を信じないのも違うし、
相手の言葉を信じないのも違うし、

これもまたバランスですね。

 

だからほんとに愛って難しい。

 

だからこそこの現実世界を
生きながらそれを体感覚として
腑に落としていくんでしょうけどね。

 

それが一つの生きる意味なのかな
なんて思ったりします。

 

あなたにとって何か気づきがあれば
幸いです。

 

それではまた!!

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