一神教は怖い?

こんばんは!!

 

お金の解放コンサルタントの
薄木です!!

 

や~たくさんの方にウェブセミナー
みていただき、そして
予想以上の方に教材ご購入
いただきました、
ありがとうございます!!

 

是非是非教材活用いただいて、
より良い人生にご自信を導いて
いただければと思います!!

 

そして僕の方は、
今週の水曜、木曜と
北海道に旅行に行って
おりました^^

 

北海道はめちゃくちゃ楽しくて、
そして奇跡的なことがたくさん
おきました。

 

中でも天の川を見れたのは
最高でした!

 

支笏湖ってご存知ですか?

 

あとで調べてわかったのですが、
ナンバーワンの水質で
水深20メートルまで見える
超綺麗な湖。

 

そこの湖周辺で泊まって
満天の星空・・・。

 

・・・・・

 

まあ男3人でしたが(笑)

 

たくさんエネルギーをいただいて
きたので、ますます
頑張っていきたいと思います!

 

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”本当は怖い一神教”

 

最近歴史の勉強に
ハマってまして、

というか自分ではなかなか
勉強しないので、

定期的に開催されている
セミナーに参加している
のですが、

面白い!

 

教科書に書いてある内容
だけを解説するみたいな感じでは
なくて、

今の考え方とか日本の成り立ちとか
と絡めながら学べるので
超楽しいです。

 

で、昨日も学んできたのですが、
一神教と多神教の違いなんかも
聞いてきました。

 

僕は一神教は一つの神様、
多神教は多くの神様、

という感じでしか思って
なかったのですが、

一神教っていうのは、

 

”他の神様は認めない”

 

という考え方ということを
伺いました。

 

これは種々様々解釈が
あって、そう捉える場合と、
自分が信じる神様が神様と
捉える場合もあるとは思うのですが、

 

”一つのものを絶対視することは、
排他的になるという要素を生み出す”

 

という危険があるなあと
思ったんです。

 

陳腐な例えかもしれませんが、
自分が大好きな師匠がいるとして、
それをけなされてると、

”あいつは敵だ!”

という概念を生み出す、
みたいな感じでしょうか。

 

本来であれば、

自分が大好きな師匠がけなされたと
しても、

「ああ、あなたはそう思うんですね~」

ぐらいで済ませられるのが
本来な気がするんですよね。

 

他人が他の人や事象や物に
対してどう捉えるかは
本来自分の人生に何ら影響は
ないはずだし、

それを

”味方、敵”

という判断基準を
設けること自体が
ナンセンスである、
はずです。

 

他人の意見を聞かない、
ということではなく、
参考にすることはあっても
支配されることはない。

 

でも人間の性質として、

”自分が信じるもの”

そしてその想いが強ければ
強いほど、
自己同一化して捉えます。

 

わかりやすい言い方をすると

自分が大好きな師匠がいると、
その師匠も自分の一部、と
みなしてしまう、ということですね。

 

だから自分の師匠がけなされたら
自分もけなされたように
感じる、みたいな。

 

だから敵、みたいな・・・。

 

なので、もし自分の信じるもの、
大切なものを否定されたとして、

一度冷静になって、

”その人は何を否定したのか”

を考えてみて欲しいんです。

 

まずはそこで、

”相手は自分自身を否定した
訳ではないということ”

そして

”もし自分自身を否定されたと
感じても、
自分自身を全て否定された
訳ではないということ”

を認識しているといいと思います。

 

本能として

”全部奪われる”と捉えると

敵対視が発生するので
それを少しでも緩和させる
工夫が必要かと思います。

 

その仕組みを少しでも取り入れて
排他的が緩和されて、
少しでも

”自分にとって異質なもの”

に対しての対処が変わってくれると
いいなあと思ったりします。

 

今日は少し抽象的で難しい
話だったかもですが、
少しでもお役立ちできれば幸いです。

 

それではまた!!

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